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沖縄自治研究会

沖縄自治研究会

第2回研究会 中

○屋嘉比収氏  はい、最後に、ちょっと一言言わせてください。例えば沖縄のことは沖縄で決めるといった時に、僕の中でやはり歴史認識が非常に重要な位置を占めています。例えば、歴史事実というのは無数にあるわけですね。その事実のうち何を選択し何を捨象するか、それによって歴史認識が示され、問われてくるわけですね。僕はそのような消極的な歴史認識ではなしに、もう一歩踏み込んで、自分のことは自分で決めるといった時に、過去の歴史を読み返すことこそが重要なのではないかと考えているのです。いろいろと無数にある事実の中から、なぜ沖縄戦のこの部分が重要なのかということを読み返して、その読み返しこそが、ここでり我々の態度表明に直結するのではないかと思います。

 したがって趣旨はよくわかるんですが、事実よりも認識のほうに強調点をおきたいと考えています。そのへんの議論をできればやりたい。あえてその部分を前文で、条項の関係で他の部分ではちょっとできそうもないので。そういう意味で、今日はその部分について議論になったと思います。皆さんの問題提起を踏まえて、次回まで案文を用意するのですか。


○島袋純氏  はい。


○屋嘉比氏  では、次回までに何とか案文を用意したいと思います。


○島袋純氏 皆さんそれぞれまた遠慮なく、もし別の案があるんだったら。


○屋嘉比氏  そうですね。藤中さん、僕はメール見てなかったものですから、申しわけありませんでした。では、どうもありがとうございました。

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【2.人権(ファシリテータ:難波田 到吾)】
○難波田到吾氏  それでは、人権の項目について始めさせていただきたいと思います。私は、難波田といいます。今回、人権の項目をどういう形で進めていこうかなと考えまして、本来ならばまた一からから考え直したほうがいいのだろうけれども、ちょっと時間的な制約もありますので、去年この自治研で市町村レベルでの自治基本条例、その中でつくりました人権に関する項目ですね、これを一応基本というか参考にしながら、あとG1、G2、G3のこの前のシンポジウムの中での発表の中にあった、人権に関する項目を反映させるということと、あとこれは私も時間的にやりきれなかったことで、ほとんどこれは反映されてないんですけれども、この1年余りの間の社会情勢の変化いいますか、有事法制、ヘリの墜落、人権擁護法、個人情報保護法、凶暴罪の法案化、住基ネット本格稼動、これらのことを人権という観点から反映されなければいけないのではないかなと思ったんですけれども。あとは、市町村レベルでの条例と県レベル、この場合自治州になるんでしょうか、そのレベルの、変わることによって新たに考えるべきことが出てくるんじゃないか。例えば、警察ですね。県警、州警察になるんでしょうか。ここに基本法が適用されるということを意識されなければいけないんではないかと。主にはそういったことですね。

 では、具体的な項目に入っていきたいと思います。

 平和的生存権からでしたね。2-1、2-2と2つの条文が市町村の自治基本条例の時に考えたものとしてありますけれども、その上で、

(1)G2案では、「兵役軍事協力を拒否」「自衛戦争を含むあらゆる戦争を拒否」「戦争を目的とする人的物資、物的物資を認めない」と踏み込んだ規定あり、有事法や憲法改正への歯止めとしても必要ではないかと、こういうふうに書いたんですけれども、先ほどの議論も聞きながら、では、現在あるものにどう対応するのかと。これは目標としては大事だと思うんだけれども、では、それとの兼ね合いどうしようかということですね。

(2)G3では、将来の「友好条約締結後、沖縄は非武装、非核地帯として国際的に宣言を行う」とある。将来に向けてこれを目指して取り組むということで基本法に盛り込めないか。また「国連アジア本部を設置し、国際刑事裁判所条約に批准する」、自衛隊や米軍の「基地使用料を琉球政府に支払う」としているのは、G3の前提としている主権回復というのが絶対的に必要な条件になるのか。このあたりですね。ただ、このあたりは人権というより対外関係の問題として扱うべきなのかなということも思います。

(3)ですね。今の(1)、(2)に関連し、市町村レベルでは住民の平和的生存権が中心になるが、自治州レベルでは、その平和的生存権を世界に拡大させるような取り組みも強調すべきと思うということですね。

(4)私が6日でメールを流した、米軍の軍隊内の人権侵害に関する、市町村の自治基本条例の時に、住民の主権はまちづくりに関わる区域として自治体内にある米軍基地にも及びますと、ここから人権に関する規定も、米軍基地内の米兵軍属に適用されると考えるのが妥当性があるのではないかということから、ここ(4)のところにきているんですね。軍隊内の人権侵害に関する人権ホットライン、その結果を米軍に改善を勧告する。教育権、知る権利という観点から、沖縄で制作した英語放送、テレビ・ラジオで米軍駐留に伴う県内の状況、米軍の攻撃に伴うイラク・アフガンの状況などを流すと。あと、脱走米兵の保護。これはベトナム戦争の時にベ兵連なんかがやっていたことと思うんですね。ちょっと今状況が違うんですけれども、ただ例えば、盛んに放送を流すとか、そういうことをやっていけばひょっとしたら状況が変わって、脱退したい米兵というのが現れるかもしれないと。次が、米軍が他国の人々に対して行っている人権侵害の内部告発に関する人権ホットラインですね。

 それらは、人権が基地内の住民に及ぶことから規定される平和的生存権の施策の例だが、あえて(3)平和的生存権を世界に拡大させる取り組みや、(1)G2案で提起した規定ですね。それらの権利に対応して加害(他者への人権侵害)に加担しない権利、加害(他者への人権侵害)を強要されない権利などの概念を生み出せないか。この前テレビで上官の指示でイラク人をヘリの機銃で殺す映像が非常に衝撃的で、何か加害を強要されない権利、加害に加担しない権利というような概念が生み出せないかなと思った次第です。

 (5)「米軍によって人権被害を受けた住民が、まずどこに相談したらいいのか、わかりやすく信頼できる適切な窓口」ということで、通常、例えば何か被害があった時、警察に届けるということが、普通あるのかなと思うんですけれども、ただ警察というのは基本的に犯罪を犯したものを捕まえたりするというのが第一義的な目的で、人権の救済とはちょっと性質が異なるわけですよね。その点を踏まえて、また別に窓口が必要なのではないかということで、これ(5)になりますね。

 次、環境権のところですけれども、環境権については基本的に特に気になるところはなくて、この前やんばるの世界遺産登録が、米軍基地のせいでポシャった問題などをどう考えるかと。これは、米軍基地内に、結局、沖縄の権限が及ばないということで、保全義務などが沖縄県の手によって実行できないからというようなことで、登録申請からはずされたという経緯があったと思いますね。

 もう一つの、こちらの字の小さいほうに移りますけど。1つ目、基本的人権を守る権利ということで、

(1)G1案では「国を相手に訴訟を起こす権利」と、具体的手段を挙げている。そのための「自治体法務の意義」も指摘されている。

(2)G2案では、「国が沖縄自治州の住民の基本的人権を侵害する場合は、住民は人権の基本原則として抵抗権を有する」と、抵抗権という言葉を使用。抵抗権という言葉が、かなり最初のころに仲地先生から提起されて、前回も、市町村条例の時も、この抵抗権という言葉を盛り込むか盛り込まないかで、だいぶ議論をしてきたと思います。ちょっと私も、結局盛り込まなくなったといういきさつをよく思い出せなくて、結局、またこうやって私からも出してしまうことになりました。

(3)G2案では、「基本的人権は公共の利益という名の国策によって制限ないし侵害されるべきではない」。これは結局、公共の利益によって制限するということを明記するべきだという憲法改正論議の中で出されているわけですよね。これらの牽制として必要なのではないかなと思いますが。シンポジウムの中で、高良鉄美先生の発言の中で、人権と人権は、その量ではなく質を比較すべきという言葉とその考え方で、この問題の意味が私自身はよくわかったような気がするんですね。私自身この言葉が非常にわかりやすかったので、この言葉をどこかに盛り込めないかなというふうに思いました。

 次のところ、まちづくりに参加する権利の中で、前述「1-4」というのは、総則で先ほど言いました米軍基地内にも主権が及びますという項目ですね。こちらから米兵・軍属を単純に住民と解釈した際に、「5-1」住民は、まちづくりのすべての過程に参加し決定する権利をもっています。ということにより、決定権までその米兵・軍属がもってしまうことになるのではないかと。これをどう考えたらよいのかと。例えばこれ市町村の条例だから、ちょっと今回あまり直接関係ないんですけれども、金武町など米軍の米兵・軍属がたくさん住んでいるところでは、これはたいへんな影響力持ちますよね。そういったことです。

(2)G1案の「パブリックコメント制度の導入・充実」、これはたぶん説明があったと思うんですけど、私ちょっと思い出せなくて、宗前先生か、徳田先生が来られていたら、ちょっと説明をお願いしたかったんですけれども、きょうは来られていないですね。

 次の、教育と学習に関する自治の権利。

(1)歴史認識、多民族、多文化への理解と尊重は、平和的生存権を実質化していく上での、精神的な基板とも思える。また、政治過程(例えば米軍統治下からの権利の獲得運動現在の政治参加の仕組みなど)を学ぶことは、自治を実質化していく上での、精神的な基板とも思える。沖縄が目指そうとしていることとの視点から、教育と学習の権利について踏み込んで明記してよいのではないか。

(2)「6-2」は、すべての世代の人に学習の権利と機会を保障しなければなりませんの、この「すべての世代の人」からさらに広げるべき。だから世代だけでなくて、例えば性別・国籍など。これは、次のところにも絡んできまして、例えばアメラジアンに対する深刻ないじめと教育の問題など、これをあえて取り上げたのは、6月23日、沖縄の学校では、この時期に集中的に平和学習を行いますけれども、以前、私の知り合いで、アメラジアンの子供たちに授業などを行っているフリースクールで、ボランティアをした人から聞いた話なんですけれども、この慰霊の日の前後に、学校(学校というのは沖縄の一般の学校ですね)に通っているアメラジアンの子供たちに、いじめが一番ひどくなると。つまり、この平和学習の中に何か教え方に問題があるのだろうということと、あともう一つ、今言いましたフリースクールですね。結局、彼らは、主に沖縄の母親とアメリカの父親の間に生まれているわけですけれども、この両方のアイデンティティ、このアメリカ人の父親の部分を埋め合わせるために、彼らはフリースクールに通っているわけですけれども、これを公的に学ぶ権利を保障する必要もあるだろうという視点からのものですね。

 (4)G2案「沖縄の独自の文化を享有し発展させる権利」は、自治教育権の観点を強調しているものだろうと。でも、なぜ「独自の文化を享有し発展させる権利」という言葉を盛り込んだかというところで、結局、日本全体といいますか、中央に対する沖縄の自治権という観点から、これを盛り込んだのだろうなというふうに思ったわけですね。

 次のまちづくり活動団体。

 藤中さんが指摘された金武杣山訴訟事件の性差別の問題、それを読まれてない方もいると思いますので、ちょっと大雑把な内容だけ話してもらってよろしいですか。

○藤中寛之氏  藤中です。難波田さんが書かれているように、区で区長選挙の投票は戸主のみに限られるという事例があり、これなども家父長を制度的に認めている、まあそういうものを指摘しているんですけど、基本的に軍用地、区のものとなっているものがあるんですけど、その分配に当たって、男の人だけに認められて女の人は認められてないという、何かそういう問題だと思います。

○難波田到吾氏  ありがとうございます。そういう問題と、あと区で区長選挙の投票が、戸主のみに限られるという事例があり、これなども結局、家父長制という制度を制度的に認めていることになるのではないかという問題ですね。こういう従来からある区であったり、自治会であったり、町内会であったり、部落会であったり、こういう旧来型のまちづくり活動団体と、まちづくり活動団体の自発性・自立性との関係で、これをどう考えたらいいのかという問題ですね。
 では、次の項目にまいります。情報の共有ということであるわけですけれども、この中で、そもそも論なんですけれども、自治体の持っている情報は、そもそも住民のものである。(ちょうど自治体の金が、住民のものであるように)という点。同様に自治体の持っている個人情報はその個人のものであるという点、そういうそもそもの原則を最初に明記しておいたほうがいいのではないかと。金の問題同様重要であるにもかかわらず、あまり意識されていないように思います。住民が、税金を一方的に搾取されているように、これは現状ですね、一方的に監視され管理される対象になっているのではないかと。

 (2)自己情報コントロール権。個人の情報をいつ、どのように、どの程度まで保有させ、伝達するかは、その個人自ら決定する権利ですね。これを実質的に保障するために、1、その権利。2、行政がまちづくりの仕事における個人情報の取り扱いに関して、この基本法の趣旨に基づいて、その権利を保障する義務を明記。ちょっと悪い文章ですね。例えば詳しくわかりやすく説明し、すべての過程(構想策定段階から評価まで)において住民参加を保障する。結局、行政がその行政の施策の中で、個人情報をどう取り扱い、どういうふうにシステム化していくという、その組み立ての構想段階から、住民が参加して考えていく、これが必要なんじゃないかと。と言いますのは、どういうことかと言いますと、結局、今住基ネットにかわりまして、各自治体で住基カード、ICカードが発行され始めているわけですけれども、これ現在、この住基カードはほとんど使い道がありませんから、ほとんど普及してませんけれども、例えばこれを今進めようとしていることは、図書館の貸し出しカードであったり、あとパスポートもありますね、あと運転免許証とか、あと診察券であるとか、そういった形でどんどん、どんどん、その1枚のカードに集約させようという構想が進められています。そういった場合に、今はそのカードを持つか持たないかというのは、自由であると、別にほしくなければ持たなくてもいいという形で、選択できる形がとられているわけですけれども、そのようにどんどん、どんどん、多機能化していくと、結局このカードを持たないと、生活が成り立たなくなってしまう。実質的に選択の権利というのがなくなってしまうということになる。だから、住民がそれを利用するかしないかという同意だけでは、実質的にその住民の人権というのが保障されないことになってくるわけで、この個人情報を取り扱うシステムのつくり方そのものに、住民が関与していかなければいけないと、それが認められるべきだという話ですね。

 (3)政府のIT戦略本部「e-Japan2」で「沖縄におけるIT関連産業の集積促進」が明記されている。東南アジアとの技術協力・技術輸出の前進拠点、国際ネットワークのハブとして、沖縄はこの分野でも首相官邸から国家戦略的位置付けをなされている。(単なる1地域の産業振興の問題ではない)。

 稲嶺知事が、IT立県と言い出した時に、私はまた稲嶺さんのハッタリかなと思ったんですけれども、どうもそうじゃないらしいと。これはどうも先に政府の国家戦略としてどうもこういうものがあるらしいと。

 今後、情報化社会の性質からして、個人情報を介したものが情報技術の核になる。住基ネットを基板に、ICカードの技術(これらの技術は日本がトップレベルにあります)を組み込んだ個人監視システムが、沖縄モデルからアジア標準になる。

 生態認証というのは、例えば指紋なんかを扉の開閉の鍵代わりにする技術。この指紋を認識する技術ですね。それとかあと目の、目の中にある虹彩を認識する技術。あと顔認識技術といいまして、顔のいくつかの点をその間隔・距離を計って、それで顔を認識する技術。その他あと声帯等もあるわけですけれども。こういった技術ですね。ICカードは、まあICカードですね。これでどういうことが起こり得るかということの、起こり得るかというか、今現在、自動車の運転免許証がありますね。昔は多分、自分で撮影して持っていった顔写真というのを使っていたように思うんです。今はその免許センターでやたらとでっかいカメラで撮影していますよね。あれが、顔写真のデータというのが、免許台帳ファイルでしたかね。そういった形でデータが集積されているわけですね。これは日本中の運転免許証を持っているすべての人の顔データです。同じく警察が設置しているものに、Nシステムというのがありますね。Nシステムというのは、車のナンバーだけを読み取るだけではなくて、実際に運転している人の顔まで、しっかりとあれは撮影されているわけですね。結局、運転免許証の顔データと、Nシステムの、いつ、どこどこ、何時に通行したというデータは、完全に照合されるようになっているであろうと、だろうというのは、結局、警察がこのへんの情報を一切公開していないから、憶測で考えるしかないわけですけれども。あと、まち中に設置されている、沖縄市ですとスーパー防犯灯という、防犯灯といいながら照明だけではなくて、防犯カメラとして撮影しているわけですね。あと、沖縄の中ではどうなっているのかはっきりわからないのですけれども、スーパー、コンビニ、銀行、そういったところに設置されている監視カメラ、沖縄の中ではどうなっているかわからないんですけれども、本土のセブンイレブンなんかは、もう直接警察のオンラインと結んでいるということが確認されています。

 以上が現在行われているであろうことなんですけれども、例えば声帯を認識する技術なんかですと、盗聴というのは、全部の通話データを記録した上で、その声帯、声でもって瞬時に検束する。そういった形の今までの盗聴の形とは全然違うすべてを包括するような盗聴の仕方。過去のデータまでさかのぼって検索できるような形、そういったかなり全体的にとらえるような、そういう監視システムが技術的には可能なんだということですね。

 次いきますね。平等権。

 (1)すべての住民は、法の下に平等であって、年令、性別、職業、国籍、人種、宗教、信条、出身地等により、差別されない。平等権というのは、市町村レベルの自治基本条例の中には、なかった項目ですね。上記は、憲法14条から社会的身分と門地を除き、これは自治基本条例の総則にある、年令、職業、国籍、宗教を加えたもの。社会的身分と門地をはずしたのは、社会的身分と門地というのは、それ自体をなくしていかなくてはいけないものだと、ほかのものというのは、別にそれ自体はずっと続いていくものだという意味で、これがなんか同列に並べられているのはおかしいという指摘を聞いたことがありまして、あえてそういうふうにしました。

 (2)例えば住民参加や雇用、婚姻等において、(1)の趣旨を厳守すべきで、制限を加える場合には、その合理的根拠の明示が必要というようなことを盛り込んではどうかなと思います。
 次、自由権ですね。実を言いますと、これはもうきょうの明け方ぐらいに、もう思考能力が完全にストップしてしまった時で、とりあえず憲法にある項目をそのまま列挙しただけですね。これをあえて入れましたその趣旨というのが、メーリングリストには、以前に流したんですけれども、県の場合は、市町村と大きく違う身体的な拘束に関わる行政機関が二つ入っていると。警察と保健所ですね。警察が容疑者を逮捕する。保健所が精神障害者の措置入院、強制的な入院ですね。これを決定する権限を持っている。保健所が伝染病者を強制隔離する。こういった県の行政というのは、身体的拘束をも行うという意味で、市町村の行政と性質が違う。そこの点で、この行政の性質がそういった意味で自由権に制約を加えるという性質を持っている以上、権利としての自由権もそれに応じてしっかりとして明記しておく必要があるんじゃないかという意味ですね。最近のことをちょっとだけ触れておきますと、昨年の8月に成立しました心神喪失者処遇法、または心神喪失者医療観察法といいますが、殺人や放火など重大な事件を起こし、ただ心神喪失を理由にして不起訴、無罪になった人たちを対象に、結局、地方裁判所で精神鑑定や審判などから再犯の恐れがあると判断されると、裁判官と精神科医は合議の上で入退院や通院治療を決める。これは、大阪の池田小学校の事件、これが法制定のきっかけになったわけですけれども、社会防衛を優先した収容が進むのではないかと強い批判がありました。再犯の恐れの判断について、再犯の恐れの不可能は予測不可能であるという批判や、精神障害者に限ってなぜ再犯の恐れを予測するのかという批判がなされていました。

 それからもう一つ、今審議中の法案で、これは犯罪の国際化及び組織化に対処するための刑法一部改正案。この中で、新しい刑法、犯罪の概念として、凶暴罪というものが規定されていると。犯罪の実行に着手していなくても、一定の犯罪については、事前の打ち合わせの段階で処罰するという、新しい概念の犯罪。これは懲役4年以上の刑になる犯罪について適用されるわけですけれども、ちなみにこの懲役4年以上の刑というのが、550の項目にわたる犯罪になるわけです。これは恐れをてこにして、人身の自由を奪うこれらの法律が人権にとって脅威にならないでしょうかということで、この問題をちょっと人権ということを考える上で、今後注目していく必要があるだろうということで触れましたね。あと、本当は取り上げたかったんですけど、結局、有事法制、この中でかなり人権の制限というものがいろいろ規定されていますので、私、これ勉強不足と時間不足で、ちゃんとここの中に盛り込むことができなかったんですけれども、こういう視点が必要だろうと思います。以上でしたかね、あと、財政と、まちづくりに関わる仕事の評価、住民投票制度、ここでも権利を盛り込まれていますけれども、これはまた別の項目で議論したらいいだろうということで、私からの最初の発表は以上です。どうやって進めていったらいいんでしょうね。

○曽根淳氏  基本的なところで質問ですけど、一応人権の項目の中に、ご説明いただいた各種の権利を全部位置付けて、きょうはその論点について示していただいたという認識でいいのかな。位置付ける必要があるということですよね。

○難波田到吾氏  ええ、結局ちゃんと条文の形にまとめることはできていませんので。

○曽根淳氏  きょうの進め方としては、その論点についてそれぞれ考え方を述べて、あとで難波田さんがそれを文章にまとめるということは可能なのかな。結構大変ですね。

○難波田到吾氏  大変ですね。私これをやりながら、やはり人権というのはものすごく多岐にわたるなというのと、また最初は市町村と県レベルでそんなに変わらないだろうと思っていたんだけれども、やはりだいぶ変わる部分もあるということに、これをやりながらいろいろ気づいたりして、大変ですね。

○玉城和宏氏   いろいろ多岐にわたって大変なことを出していただいて、どうもありがとうございます。私自身こういう細かいとこまでわからないんだけど、今、論文を書き続けているんだけれども、論文書く必要があるということは、沖縄大学に行くために社会系の論文を書かないといけなくて、無理して書いているんだけども、そこの中に私は個人的な生存空間というのを全部入れてあるんですよ。個人的な生存空間を入れてあるというのは、互いに全部個人的な生存空間を持っているわけで、子供から大人、全部含めて。そしてその個人的な生存空間をあるグループが、一応属性として、家族であったり、地域コミュニティのいろんな形態であったり、それから県レベルのいろんな組織もある。組織の中で、関連する作用ということを私入れてあるんですが、いろんな作用がありますね。お金を流すという、あるいは行政的に法律でしばるとか、いろんなことがたくさんあるわけですけれども、そういうところのいろんな作用とか、それら作用の関わりで様々な空間全体、例えば、生存空間、国の生存空間も国際的な生存空間も沖縄の場合全部絡んでくるわけですけど。

 特に一つ一つの生存空間、その生存空間をどのように我々が担保できるかと。つまり、外部からのいろいろな作用というのがあるのだけれども、そういう作用はおしなべて自分たちの、沖縄に住んでいる、あるいはほんとは世界全部だと思うのですけれども、そういう生存空間という概念を是非入れてほしい。少なくともこの人権という部分では、いろんな属性が入りすぎていて話しが複雑になってしまう。そこで、それをまとめる切り口として、安全と食糧確保、つまりエネルギー供給なんですね、そういうインフラも全部入ってくるんですが、安全と食料確保というその二つからそれらに関する部分で、作用とか情報、技術、スキルなどによって、いろんな強制があったり、あるいは生活を高めるというか、もう少し豊かな形になったりとかということがある。だから人権の見方という時に、個人の生存や安全な空間の確保というのは特に重要になる。だから情報が管理されるということは、将来自分の安全が犯されるという可能性がありますね。国のスーパーパワーによって。だからそこに対する制限の項目が必要となる。個人の生存空間を国に対してどのように保障するかと。国がそこまでやっていいはずがないわけで、そのへんの状況を本当は政治関係とか専門の方々に議論していただいたほうが、私がやるよりはいいんだけど、私は数学的なフレームワークを書いているに過ぎないので、そのへんの部分を視点に入れていただいて、これをもう1回見直していただけると、ひょっとしたら見通しがよくなるのかなと、こう思っています。


○島袋純氏  多分、玉野井先生が言われた地域というのは、そういった生存的空間ですか、生存空間、それをいちばん今達成できるのはこういった地域というレベルではないかという発想だったんじゃないかなというイメージですね、今言われてそういう気がします。それで平和的生存権の中になじみやすい言葉ではないかなという今印象でした。

 全体的にいろんな議論が出ていたんですが、例えば、これは特段県のレベルで、この人権のところで設けなくてもいいんじゃないか、ほかのところに回せるんじゃないかと思われるのが、例えば「まちづくりに参加する権利」、それから「まちづくり活動団体」、そういったのは、ほかのところで述べることができるんじゃないかなという気がして、人権として重要なのは、「平和的生存権」、それからここでは「抵抗権」ととりあえず書いておきましょう、とりあえず、またあとで名前変わるかもしれないですが、「抵抗権」ですね。それと、「教育と学習に関する権利」、多分「文化の享受権」というのは、これユネスコの少数民族に対する文化の享受権ですね。ユネスコの条約の。それから自分たちの固有の言語、母語を継承し発展させる権利、そういったのを前提として、これかなり前回も議論したんですよね。公教育によって、それを税金でもって保障する権利ということで、相当議論したことがあるんですけれども、その権利は非常に重要です。それから情報の共有というのは、議会とか、いろんなことが出ているんですが、これはやはり「知る権利」、あるいは個人情報統制権、個人の情報の統制権、トレースの権とかいろいろあるんですが、知る権利、個人情報を自分でトレースして、削除してもらったり、いろいろする権利ですね。個人情報のコントロールの権。情報の共有という言葉ではちょっと人権的なものではないので、「知る権利」と「情報統制権」、「個人情報統制権」という形で言葉を変えていったほうがいいんじゃないかなというイメージです。

 そして、「平等権」、「自由権」は基本的に憲法上保障されていて、さっきの杣山の訴訟のこととか、基本的にどこからどう見ても「平等権」に反するとしか思えない事実ですよね。伝統とか慣習とかで、そのままで正しいんだったら憲法なんかいらないわけであって、ですから「平等権」ということに関してと、自由の権利に関して、やはりそんなに憲法と重複するような規定はいらないかとは思うんですけれども、プラスアルファで先ほど言われたように、警察の権限とかあって、しかも日本の場合は、かなり国家警察的な色彩が強いので、その自由権の中でのいろんな拘束する権限を阻止するような、自治体に情報と、それから沖縄県民の身体的な拘束に関するこれをやってはならないという義務を課すという部分は必要かなというイメージです。

 それで、すべてこれは「まちづくりの権利」になっていて、どうまちをつくっていくという色彩が出ているんですが、沖縄州の自治基本法となると、国づくりという言葉に置き換えるわけにはいかないので、おそらくここで全部出ているまちづくりというところは変えていく必要があるんじゃないかなと思うんですけど。よりもうちょっと憲法的なイメージに変えていったほうがいいかなという気が。もし、まちづくりにすべての過程とか、まちづくりと議会と住民との関係とか、そのまちづくりの部分に関しては、別のところで規定していったらいいんじゃないかなとそんな気がします。

要するに政策への住民参加の権利ということなので、権利のところで出てきたんですが、住民参加のシステムというものを、人権のところはやはり基本的な人権の、基本的に原則を書いて、あるいはこれをやってはいけないという政府に対する禁止の条項を書いて、あと具体的な参加の手続きとか手法に関しては、そういった禁止項目、あるいは権利項目ということを明記することによって、もうひとつ下のランクでできるか、あるいは別の条項でできるか、そんなイメージです。


○玉城和宏氏   先ほど島袋さんから、個人の統制権という話がありましたけれども、やはり情報が個人の統制に入っていて、どういう情報が入っているかというのは自分でコントロールしている状況が必要であります。それから、禁治産者などいろんなレベルがあって、子供の場合だったら、将来大人になったら持っているべき権利などに関わる情報を担保してあげるという、そういう保障も必要なので、だから個人の統制権という場合に、流れる情報に関する状況とか、一般的状況に関する情報、個人の情報、そのへんの設定も是非議論していただきたいと思います。


○佐藤学氏  難波田さんの今のお話も含めて、州の権利規定として、システム離脱であるとか、要するに日本につながるシステムからの離脱、住基ネットを離脱しているところは、まだ離脱しているんですよね、三つか四つ、もう入っちゃったですか。


○難波田到吾氏  まだ入ってないですね。


○佐藤学氏  途中で入ったところもどこかあるんですよね。


○難波田到吾氏  あります。


○佐藤学氏  そういうことであるとか、あるいはそもそもその監視システムをつくるつくらない、つくらないということを言えるのかどうかわからないけれども、あるいは監視システムつくるのであれば、それを公表しないといけないとか、何とかかんとか現代的な人権侵害状況を取り上げるというなんばたさんの問題提起をそういう形で盛り込めないかなと思ったんですけどね。


○曽根純氏  おっしゃるとおりなんですけど、ちょっとただ自分の頭がごっちゃになってしまうのは、まず憲法で保障されている権利はあるという前提があるということですよね。ただし、この中に二つ視点があって、一つは日本の国家というものから自治州の住民の人権を守るという部分と、でも、この自治州が何をやるかわからないという部分から住民を守る部分というのが、ごっちゃになっているような部分があるような気がしたんですね。


○佐藤学氏  要するに両方必要だというつもりというか、そんな気がしますが。


○島袋純氏  もうひとつやはり問題になるのが、NPOとかそれからまちづくり活動団体、全部含めているんですけれども、住民自治組織ですね、それが非常に因習悪、慣習、さっきの杣山事件もそうですけれども、超人権侵害、これをやりまくっていてみんなほったらかしにしているという問題ですね、これをどうするか、だから住民自治組織の実情と近代化、そういったものが本当は必要なんですよね。沖縄はこの問題非常に根が深くて、これを実を言うと再構成しないと、再構成するに当たっても、だけど沖縄の文化です、歴史ですと言わさないで、再構成していかないといけないということですよね。


○濱里正史氏  基本的なことを聞きたいんですけれども、ここでいう人権の、先ほど島袋先生が言いかけたと思うんですけれども、人権に関してだけやっていくか。環境のところで権利についてやっていくのか、権利と義務というのが環境のところに出ているんですけれども、要するに個人と権力集団で考えると、個人に関しては、権利と義務というのがあって、それを両方ここの中で盛り込んでいくという話なのか。権力集団に、自治体とかになると、保障するということと権利を制限するという話があって、その話もこの中に入ってくるのかというところが一つ聞きたいところと、もう一つは権力集団にマスコミを加えてほしいなということですね。これは知る権利もあるんですけれども、今NHKの問題が出ていますけれども、知る権利の一つの権威つけられた集団として、財政も確保されたことも保障してあげるけれども、やったらいけないことも、きちんと権力を制限しないといけないという話が出てきていると思うんです。これをここでやるのか、ほかでやるのかの問題はあるんですけれども、これが一つ。

 あと、教育に関しては、先ほどでてる日本国憲法が、一応改憲論でよく日本国憲法は人権に関してはもう古いと改憲論の中でいちばん説得力のあるのは、いろいろ情報とか環境に関するものを改憲しようと、そういう新しい人権について、日本国憲法プラスアルファという形でこの中でやっていくという基本ラインでいいのかというところで、プラスアルファでやってほしいのは、教育権なんですよ。要するに、国に全部教育を任すのではなくて、マスコミもそうなんですけれども、今マスコミと教育が一番子供たちを育てるのにいちばん影響力を持っていて、この沖縄独自の、要するにマスコミのテレビ番組のつくる組織をつくってほしいというのと、それに関する権利というか、保障とあれを自治州の中で財政と役割をきちんと、日本国の中のマスコミではなくて、自治州の中に日本国とは別個に位置付けてほしいというのと。

 もう一つは、教育に関しては国ではなくて自治州レベルで、保障と、制限なら制限という形で、独自の例えば古典とか漢詩だったら琉球漢詩でもいいし、沖縄のおもろを教えてもいいと思うんだけど、そんなことができるのか、まあだいぶできるようになってきた気がしますけれども、そういうカリキュラムのあれからして、自治州の中でその教育権を持ってやっていくという、この中でうたえるかどうかちょっとわからないんですけれども、人権のところででるかどうかも含めて。


○島袋純氏  スコットランドが政府をもった時に、最初にやったのがその仕事だったんですよ。ゲール語の新聞の欄を、これは強制的にばかりではないと思うんですけど、ゲール語の新聞の欄を設けることと、それから議会においてゲール語を使用して議論すること。それからゲール語で説明書をつくる。ゲール語というスコットランドの母語です、もともとの言葉なんですけれども、もう英語にされてしまいまして、それで基本的にこの言葉をしゃべれるのはスコットランド人口の1%もいないぐらいしかいないんですけれども、それでも独自の、もともとの言語であるということで、向こうはケルト族ですのであったんですけれども、そういったのがやはり自治州をもつことによって、初めて実現して、公的な資金でもってテレビ番組もありました。それから議会においても、ゲール語でほとんど誰もしゃべれないのにゲール語による審議の日をもうけ無理やり議論していた。誰もしゃべれないというのは大げさですが、129名中、母国語をしゃべれるのは2人でした。ですけれども、首相から何から何まで、答弁もみんなゲール語でやるという、わざとつくってやったんですけれども、これがG2案で沖縄の独自の文化を共有し発展させる権利ということで明記しておくことによって、引き出せるのではないかなと。

スコットランドの場合、実をいうと基本的には、こういった明確な文言はなかったはずなんですよね、スコットランド基本法の中には。だけどそれは基本的に原則として了承されていて、公的な資金をかなり大きな金額を大量に提供しているという状況で、公的な幼稚園・小学校・高校にゲール語の教員を派遣すると。英語でインストラクターやっているじゃないですか。あれと同じようにゲール語の教員を、みんなすべての小・中・高校に派遣するというプログラム組み立ててましたので、もしかしたら将来的に沖縄のウチナーグチも、もうほとんど滅亡する言語になっていますので、各市町村の単位での言葉を、首里の言葉が標準語と押し付ける必要はないと思うんですよ。また国家語をつくってしまうだけなので、市町村の単位でその言語のインストラクターを養成して提供するというシステムが必要なんじゃないかなという気はしています。

 ですから、可能性のある権利だと思います。それから権利と義務に関しまして、憲法も考えてみたら、権利と義務は一緒に書いてあるんじゃないかなと思うんですが、身体の自由と拘束してはいけないという、国家に課した制約的な義務と。それでこれは、表裏一体の関係ではないかなという気がして、だから区別するのはちょっと難しいんじゃないかなという気がします。


○曽根淳氏  教育と放送は大事だと思うんですけど、これはいい面で使われればいいことになるんだけども、逆に使われると、結局、愛国教育とか、あるいは情報統制みたいな形になるので、義務付けをするべきようなことなのかどうかというのはちょっとわからない部分があります。


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